谷口仙太郎展 ーわたしの旅ー


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会 期

2012年3月2日(金)~3月16日(金)

時 間

11:00〜19:00
※3月2日(金)は11:00〜20:00

休廊日

日・月・祝日

イベント

3月2日(金) 
オープニング・レセプション
18:00〜20:00
            

    
  

谷口仙太郎について

このたび、日本洋画壇でひときわ強い存在感を示す画家・谷口仙太郎の個展を開催する運びとなりました。
彼の創作に対する概念の泥と化した、その油絵具の重々しい画風。様々な色を孕んだ黒や白を基調にしていますが、時折用いられる鈍く光った金や銀の箔が、モティーフである群像や人物の心の在り様を斜めから反射させ、その無言のメッセージを私たちに投げかけてきます。
かつて日本洋画壇に大きな功績を遺した香月泰男の遺族を以てして、香月泰男美術館にその作品を収蔵したいと言わしめた力作の数々。それはご来場いただく皆様の心にも、強烈な印象を残すことと確信しています。

REIJINSHA GALLERY, Tokyo


略 歴
1944 富山県下新川郡南保に農業を営む父・仙太郎、母・ふじ子の次男として生まれる。
1948 父・仙太郎死去。
1956 4町村組合立泊中学校に入学。友達探しを目的に山岳部に入部。画家を夢見る近藤巌と出会う。
1959 富山県立泊高等学校に入学。2年時美術部に入部、絵の面白さを知る。
同年高等学校にて、谷口山郷(日本表現派)の授業を受ける。その頃メキシコのリベーラ、シケイロスに共鳴。
また、谷口山郷と深い交友のあった岩崎巴人にも影響を受け、自分の主張を表現する手段は絵を描くことであると確信する。
1962 国鉄入社。
1963 国鉄を退職、農繁期に帰京することを約束し上京。武蔵野美術大学美術部油画科に入学。
1966 東京銀座のクラブに勤めはじめる。この頃より制作とは遠ざかり、住居を転々とする。
1975 銀座6丁目、現在の「ときね」を開店。酒場の主人となる。
1976 知人の画家に「風子展」出品を勧められ、十数年ぶりに絵筆をとる。 父の名・仙太郎を雅号として使い出す。
1977 農繁期帰省時、途中下車した糸魚川駅前の書店の店じまいに出くわし、従業員が次々にカーテンを閉めていく光景をみて、上京した日の記憶がよみがえる。
「夜行に乗るため家をあとにする谷口を、少し木戸をあけて見送る母親の姿。家の灯を背に母親の顔はみえないが、光の中に浮かび上がる母の姿。」黒衣(くろこ)の詩シリーズの制作が始まる。
1984 この年以降、毎年個展を開催。
1992 台湾旅行をする。
日本には、もうすでにない20~30年前の田舎風景や、これまでテーマとしてきた黒衣の姿が残る空気を肌で感じ、心を動かされる。
更に、故宮博物館で出会った甲骨文字からも強い印象を受け、彼女への手紙シリーズの新展開が生まれる。
以後、台湾取材を続ける。
一創会会員日本美術家連盟会員
「海の非常線」(ペップ出版刊)カバー装画
「悪夢の東京湾」(白楽刊)カバー表紙絵、本文イラスト
「平和の失速」(文藝春秋刊)全5巻カバー装画
香月泰男美術館(山口県)、朝日町立ふるさと美術館(富山県)に作品収蔵

作品紹介

谷口仙太郎 作品紹介
谷口仙太郎 作品紹介
谷口仙太郎 作品紹介


REIJINSHA GALLERYの詳細は
下記のページからご確認ください。

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