雪舟は、一説によると文亀2年(1502年)石見国(現在の島根県益田市)で没したと云われています。この雪舟終焉の地では、各方面からの協力によって大正15年(1926年)に平山成信男爵を会長とし、当時の著名な日本画家・山元春挙、川合玉堂、土田麦僊、村上華岳、入江波光、福田平八郎、伊東深水ら67名によって「雪舟終焉地保存会」が結成され、昭和4年(1929年)には時の若槻内閣総理大臣の協力によって雪舟没後425年記念事業が盛大に行われました。その後、世相の移り変わりもあって保存活動が途切れ、戦後の昭和25年(1950年)、地元の有志たちによって「雪舟終焉地保存会」が再生、昭和30年(1955年)には雪舟没後450年記念事業が行われました。 ところがこの会も永続する事ができず、雪舟終焉地は荒れるままに放置され、昭和55年(1980年)に益田市民の協力によって「益田市雪舟顕彰会」として神崎益田市長を会長に再々発足となったのです。この会の最重要目標として、雪舟美術館の建設がありましたが、平成4年(1992年)に益田市立・雪舟の里記念館が完成し、時の竹下内閣総理大臣が打ち立てた、各都道府県に1億円ずつ国税を充てるという「ふるさと創生論」で、島根県が入手した雪舟筆・国重要文化財「益田兼堯像」の軸装作品をはじめ、大正15年の創立以来収集してきた書画に関する全ての資料をここで展観する事となりました。
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